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観音崎尾根 第3回 上町〜聖徳寺坂 その6 深田台〜聖徳寺坂 [三浦支尾根プロジェクト]


お忘れの方もいらっしゃるかも知れないが、我々は延々と東京湾三浦半島のドン平作川との分水界上を辿っている。実は私も忘れていた。(おい)
例えば前記事のこの画像、

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我々は、この左側の博物館からここへ出てきたわけだが、交差点の右方向は谷筋、後ほど一部通るが浦賀道に出るこの谷に水路があったとして、その流れは最終的に平作川久里浜湾に流れ出るものである。その水源は、海から数百メートル、昔の海岸線からであれば200mもないだろう。そこから10km近い距離を、佐野だの衣笠だの久里浜だのをぐるんぐるん経て海に流れ出るのだ。
だからこの尾根を歩むものは「俺ってすごいじゃん」的な感覚になるのである。(あの、ちょっと意味がわからないのですが)

だがこの尾根は、ここから先が厄介くんなのである。

先程の谷を右に見て回りこんだ尾根は、上の画像、正面の崖上から右方向へ続いている。
よって崖の右側の坂道を上ろう。看板を見るまでもなく、この道が行き止まりであることは合点承知の助だ。(は?)

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Googleさんの地図表現もそうだが、行き止まりはいかにも私道っぽくて遠慮したからだろうか?このような意味不明の画像しか残っていない。

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無敵のGoogleさんも、ここまでしか達し得ていない。

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何にせよ行き止まり、ここは戻って迂回である。右方向(戻って左方向)、先程ふれた谷筋へ下る。道なりに下れば、上町1丁目交番交差点からの旧浦賀道へ突き当たるのだが、

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その手前左側に、尾根方向に少しだけ上る路地がある。我々尾根探索隊(だからいつから隊になったんだよ?)は、これを上ろう。

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直進は行き止まりなので、ここは右。

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ここは横須賀迷宮、うっかり道を間違えると命に関わる。(関わらねーよ!)

お宅の門前に出てT字路のようになっている。

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左は行き止まりっぽい(左画像)。ここは右へ下るべきであろう(右画像)。

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うわあ、やられたあ。(はい?)

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階段を下って浦賀道に出たが、これは早すぎた。
もう少し長く尾根近くにいるには、先程のT字路を、行き止まりと思われた左へ向かうべきだったのである。だから命に関わるといったのだ。(だから全然関わってねーじゃんかよ!)

ということで、次回の探索時(2016.11.6)に生還したなめこさんはあらためてこの左側のコースを辿ってみることにした。
といっても、この突き当りのお宅の門の前を右折するとすぐに下り。

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坂を下る途中、聖徳寺坂の切り通しをはさんだ向かいの尾根の続きを観望、そしてさらに下りその聖徳寺坂に出る。

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2016.11.6 の画像はここまで。

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こちらはこの日付。聖徳寺坂に出てからこの階段を左にみて初めて、やられたあとなったわけである。(こっちに道があったじゃんの意味)

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時刻は既に17:00を過ぎている。無理矢理修正している画像の色も変だ。(笑)
この先の田戸台は次回へ回し、今日はここでお開きとしよう。

京急さんをくぐり線路に沿って歩き、中央のひとつ先県立大学駅へ向かう。

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県立大学駅、私にとっては初めての駅である。

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以前は確か違う駅名だったはずだ。えっと、えっと、、、横須賀公郷→京浜安浦→京急安浦です)

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快特停車駅にはさまれ、横浜方面からだと八景から普通でえっさえっさ乗ってこないとたどり着けない不運な駅である。

次回のなめこさんは、この駅でものすごく恥ずかしい姿を晒すことになる。(え゛?)

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観音崎尾根 第3回 上町〜聖徳寺坂 その5 中央公園(下) [三浦支尾根プロジェクト]


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前記事でも触れたが、この中央公園米が浜演習砲台の跡である。遠方に見える陸地は千葉県房総半島、つまり目の前の海はバリバリの東京湾である。いざとなれば、ここにうにうに入ってきたペリリンみたいな(ペリリン言うな)黒船を大砲でやっつけようという魂胆であろう。(黒船?)

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この見晴らし台のようなものはどうなのかはわからないが、

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他に軍事遺跡のようなものはいくつか見られる。

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このそれぞれが一体何で、どうのような用途で用いられたものなのかどうかのそっち系のことはよくわからない。しかるべき有益なサイトがあるので、そちらをご参照いただきたい。(こことかこことかこことか)

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なぜか人は、こういう眺めの良いところに石碑だ記念碑だを建てたがるものである。

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なめこさんもいつかこのブログが認められて、その事績を(絶対ない)

青緑の人に全存在をかけて否定されてしまった。。。

謎の建造物を目指す。ってかさっきの説明板に書いてあったからもはや正体は判明しているのだが。(平和モニュメントです)

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道は右に下っているが、尾根線はこの左側の木が植わっている部分である。

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尾根サーチャー(笑)としてはそちらを極めたいところだが、そっち歩くと怒られそうなので仕方なく道を下る。

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平和モニュメント

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こういうものはだいたい変な形と相場が決まっているから、形状に関する論評は控えよう。
文字が書いてあるが、一部の自称愛国者(笑)の馬鹿どもには見えないだろうからここに書き出しておこう。

「核兵器廃絶」「平和都市」

U.S.FORCES」が日常的に寄港する横須賀では他人事ではあるまい。そしてここはかつて、旧軍が大砲をばんばか撃ちまくった場所である。そういう場所だからこその平和モニュメントなのだ。

さっきは何かのビルの影に隠れていた猿島が、ここでは角度的にまる見えになる。見え過ぎちゃって困る猿島である。(意味ワカンネ)

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このときの私は色々右往左往したあげく、このモニュメントから先の尾根線は以下の画像方向、遊戯施設のある広場から直接博物館に下りて、博物館の西側に回るのが尾根コースだと結論した。実際ラインもそう引き、現地でもそちらへ辿っていった記録が残っているのだが、どうやら違っていたようだ。

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必殺!自分で作る色別標高図で検証すると、博物館の東側を経由するコースが有力である

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地理院地図を加工)

現在の地図とずれずれなのが悩ましいが、迅速測図でも南から切れ込んでいる谷の頭を東側にぐんと回り込んでいることが見て取れる。
ってかこの尾根、どんだけ海側に寄りたいんだよ!(笑)

公園のさらに東の先(左画像)、このときはこっちが尾根線という意識が無かったが、そちらへも行っているので、このままそちらの画像で有る分を使用して尾根探索としてのレポートを続けよう。

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デッカー司令官である。占領軍の人だが、横須賀にとっては恩のあるめっちゃいい人だったみたいだ。

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恩人なのに、駐車場建設ごときで移動させられちゃうデッカー司令官。やっぱりいい人のようだ。(笑)

文学碑の裏側。後で表に回るので、説明的には一旦スルー。

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戦没者慰霊塔。

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こちらは先程裏から見た文学碑である。

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個人的には無関係なのに、文芸作品に「田戸」とか地名が出てくると、我がことのように嬉しくなるようになったニワカ横須賀ツウ!!の私である。「田戸の海ぬし」に関しては、「ふるさと横須賀」にも記事がある。

ここまでの、平和モニュメント四態。

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角度によって見え方が色々変化して面白い。変な形が功を奏したわけだ。

さてこの先の尾根線だが、先程の慰霊塔の辺りから南へ下る。尾根探索コースとしては若干迂回になるが、慰霊塔の脇を下る坂道がある。
だがその区間のこの日の画像がない。なので途中までは、2018.6.17の画像を使用する。あるいはここまでを含めて例によって無敵のGoogleさんが公園内を闊歩しているので、そちらで辿られてもよろしいだろう。

この画像から唐突にアジサイが咲いていてびっくりポンな坂道。(2018.6.17の画像です(笑))

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逆方向にカーブした後、広場に出る。これを右に下れば博物館の建物の東側に出る。

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2018.6.17の画像はここで終わり。(基本、アジサイとか撮っただけなので)
あとはGoogleさんを頼ろう。ぺたぺたぺた。。。




Googleさんもここで終わり。

真っ直ぐ行くと最終的に、この画像のところに左側から出てくる。

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市内のところどころにオグリン(オグリン言うな)の銅像があるらしいが、今のところこれしかゲットしていないので(ゲット言うな)ここのすぐ脇、博物館の庭園領域にあるオグリン(だからオグリン言うな!)他1名(他言うな)の像をご紹介しておこう。

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結局、西側の博物館入口は尾根コースからはずしてしまったが、一応ご紹介しておく。
横須賀市自然・人文博物館

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今日は博物館にはよらない。
有益な情報は得られないかと思うが、ご興味のある方はこちらをご覧いただきたい。(→横須賀市自然・人文博物館。→ミケちゃんはこちら(?)

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地理院地図を加工)


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観音崎尾根 第3回 上町〜聖徳寺坂 その4 中央公園(上) [三浦支尾根プロジェクト]


龍本寺を出る。

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この参道の左側(東側)には、参道にほぼ平行して、地名としては米が浜1丁目の横須賀共済病院の方へ下る「裏坂」がある。
若松町・深町台境界へ向かう駐車禁止標識の路地龍本寺から見て少し手前で、戻る方向に裏坂が分岐している。

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こちらは後日、田戸へ行ったときの帰りに撮った画像(2018.4.8)。裏坂を少し下ったところである。

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裏坂に関しては次回の初頭にも書くが、ご覧のように明らかに切り通した坂で、尾根線はそれを横切って東方向(つまり上記画像では左方向)に伸びている。

反対向きの仰視画像もあれば良いのだが、残念ながら撮ってないようなので、Googleさんにお願いしよう。こんな感じ。


龍本寺から見て切り通しの向かい側に上るため、裏坂の右の階段を上ってみよう。

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道は右にカーブするが、その辺りで尾根線に近づいたと言って良いだろう。だが、この道は直進しても遙か正面のお宅の門で行き止まりである。

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右画像右上に見える丸い電灯は中央公園のライトで、そこもほぼ尾根線である。

突き当りの手前で右の路地に入り、階段を下る。

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広い道に出る。ここの交差点をその画像の向きで右に入った道である。

Fukada-1.png
地理院地図を加工)

交差点にある標識。そこに示されているように、この緩い上り坂は文化会館博物館、そして中央公園へ通じる道である。

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例によって、尾根変態でなければわざわざ裏坂の右の坂道を迂回する必要はない。参道をまっすぐ行き上の案内標識のある交差点を左折して直接この道を上れば良いのである。

この先、もう一つ左方向に入る路地があったが、尾根線に乗っている先程の公園の崖下に出るだけで、尾根探索的にあまり意味がない。なので省略する。

左奥の建物は横須賀市文化会館。その手前(横断歩道のところ)に中央公園へ上る坂道がある。

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これを上る。

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中央公園入り口。

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これが、高所恐怖症のくせに高いところが好きななめこさんが、横須賀中央近辺に来るたびにせっせと登ってくる中央公園との初めての出会いである。すぐ下の博物物館には既に行っているのだが。。。)

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地理院地図を加工)

目の前に階段があるがそれは登らず、ここまでの尾根線を探索的に取り戻すため左方向へ進む。ここでおトイレ休憩もしておこう。(笑)

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ぐるんと右に回る上り坂。右画像の丸ライトが、先程崖下のお宅越しに見えたものだろう。

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坂を上りきったところが尾根線ということになる。
そして尾根に乗った!振り返って龍本寺方向。

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見晴台のようなものがある。その向こうには謎の建造物がっ!(笑)

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あとでわかるが、この中央公園は「米が浜演習砲台」の跡である。この見晴台のようなものも、その遺跡を利用したものなのだろうか?

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地理院地図を加工)

ビルの左下のお墓、青い屋根の龍本寺のお堂、そしていま現在のここまで尾根線が通っていると考える。

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いや、カタギの人は尾根線なんぞよりも、まず海側のこの絶景を堪能すべきであろう。

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パノラマぐるんぐるん回したから画像ちっちゃ。(クリックで拡大します)

猿島。

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小原台、某防大方面と千葉県。

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反対側も負けてはいない。内陸側、三浦主尾根方向。

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おっぱい乳頭山です)等も見えているはずなのだが、このときは気づかず、角度的に木の陰に隠れてしまっているようだ。

せっかくのおっぱい乳頭山です!)なので、後日(2018.6.17)少し場所をずらして撮影したものを貼っておこう。
左右を少しトリムした。君にはおっぱい乳頭山ですが見えるか!?

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さらに拡大!これでおっぱいがよく見えるだろう。(おっぱいおっぱいやかましいわ!)

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(中央やや右に見える塔(多分これ)の右側のぷにです)

他の山々についてはよいだろう。未来の記事に書いておいたものとだいたい同じ様な角度である。左にパンすれば大楠山も見える。

尾根線は、例の謎の建造物の方向へ向かっている。

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観音崎尾根 第3回 上町〜聖徳寺坂 その3 龍本寺 [三浦支尾根プロジェクト]


前記事で青緑の人にボロクソに笑われたので、ここではもっともっとタケモットな高度なデジタル技術を駆使して、かつての尾根を再現してみよう。因みに駐車場の案内の方々には、面倒なので消えて頂いた。(酷っ)

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何?酷さに変わりはない?抽象化されていない分もっとインチキ臭い?コラやってるヒマがあったら先をとっとと更新しろ?そもそもこの崖、いったいどこから持ってきただと?
いい素材がなかったので、本尾根探索の某画像を切り取って持ってきた。高プロで時間のある方(笑)は元画像を探して頂いてもよろしいが、正解しても残業代は出ないぞ。(2018年の時事ネタをここで出すな)
そう、これが平坂を切り通す前の旧横須賀・豊島町境界、いや旧々横須賀村と、旧々中里村、旧々深田村の境界の真の姿なのである!(いや嘘だろ!w)
問題ない。どうせこれを見たものはもう誰もいないのだ。(舗装道路とか速度標識とか電線とか。。。)



我々が熱帯魚屋さん中央水族館)の背後の山を尾根線と目した通り、例の大勝利山手前のT字路からの旧横須賀・豊島町境界平坂の東側では若松町・深田台境界も見事に中央水族館の脇の階段を上っている(Mapion)。
この階段は、苦労して上っても、さらに上の段の崖下で明確に行き止まりなので、この日はスルーした。
その後、何度かこの階段の前を通る機会もあったが、段上のお宅が数軒に限定されていて入りづらいということもあったのだろう、そのままになっていたのだが、、、

今回の記事を書き始めて尾根魂(?)が騒ぎ出し、ちょっとチャレンジしてみることにした。

2018.5.27、ちこく坂をちんたら上ってみたり、どぶ板通りでうに°うに°ぷにぷにしたりした日である。幸い街はお祭りである住人もみんな出払っているに違いない(笑)。この隙にこっそりと。。。
別記事にするのも面倒なので、最初に本記事でちゃっちゃとご紹介してしまおう。

この、Winkの歌が聞こえてきそうなお店の脇の階段を上る。今夜はもう帰りません私。(それWinkじゃないし)

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ひたすら直進、上り階段である。叱られてもなじられてもいいが(岩崎やめろ)、この階段は結構きつい。

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やっと上りついた。道は奥で左方向に伸びていて、

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すぐに行き止まりである。

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崖上、ピンクのお宅の手前を町界が通っているらしい。

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この崖をよじ登ることは不可能だし、無理に登りついてもその先は人様のお宅の敷地である。
よって尾根探索的にはここで引き返す。

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地理院地図を加工)

因みに、ご存知「ふるさと横須賀」によれば、この辺に貝塚が出たらしい。(→平坂貝塚 『縄文の人骨も発見』
リンク先文中の、「深田台五番地、 若松町三丁目三十番地」はちょうどこの崖上の境界をはさんだ住所である。地学同様、考古学的なことはさっぱりわからないが、そのことが尾根探索的にも何かのヒントになるのではないだろうか?(いやない)



平坂から先程の2段上の崖上、龍本寺方面へ登る経路はだいたい2つに絞れる。A)若松会館と洋服の青山の間の道を入っていった先の階段と、B)中央水族館からお店を一軒はさんだ先のもう一つの階段である。

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地理院地図を加工)

の方は回り回っていて、その一本南の谷筋の坂をゆるゆる上っても一緒なのだが、できるだけ尾根線に近い道を辿るという尾根サーチャーの掟によりその階段を上るのだ!(なめこさん、変な気合入っています)

この日はの階段を上っていったのだが、実はこちらの経路にはせっかくの尾根道の一部オミットしてしまうという欠点がある(例のピンクのお宅の前の道です)。上りついてからそこまで行って引き返しても良いのだが、一筆書きで辿れるという点ではの経路の方が良いかも知れない。

何にせよこの日のなめこさんは、とりあえず目についたの階段を上る。そちらはそちらでまた素敵な景色もあるので、まずはそちらからご紹介しよう。のコースは後日辿っているので、そちらは改めてこの後<hr />で分けてご紹介することにする。

先程申し上げた若松会館と洋服の青山の間の道を入る。

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正面に見えた階段を上る。よっこらしょっと。

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振り返った俯瞰。尾根線は左の白い建物の後ろを通っている。

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上り坂はここで一度ターン。

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お地蔵さん。こっちにもちらっと書いたが、この坂は、平坂ができる以前の下町側(若松町)から上町側(この場合龍本寺)へのアクセス路だったのかもしれない。

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もう一度ターン。

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さらにターンして上りつくと

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お墓が見えてくる。振り返ると、横須賀中央のホームを見下ろせる。っと言うことは、ホームからもこちらが見える?

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既に龍本寺の領域内。遠くに例の謎の建造物(笑)が見える。

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左画像の先の方で、右からの道と合流する。そちらがコースを辿った尾根線である。

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地理院地図を加工)



次はコースを辿ってみよう。
こちらは2018.4.8、例の田戸台へ行ったときのついでの探索である。

先程のどうぞそばにおいての熱帯魚屋さんの一軒先の階段を上る。(左画像左下の段々)

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階段を上りついた住宅地、左側に尾根が見える(右画像)。

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住宅地内を適当にうにうにかくかく行って、道幅の広い谷筋の道に出る(なので無理に階段を上らずとも最初からこの谷筋の坂道を上っても良い)。谷道を左折。

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交差点を左へ。まっすぐ正面が龍本寺だが、ここはぐっとこらえて駐車禁止の手前の路地を左に入る。

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実はこの路地、Googleも堂々と侵入している。我々に先んじているつもりなのだろうか?(それはない)

今いる場所は一応谷筋なので、尾根まで坂を上る。

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上りついた。道は右へカーブ。

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左画像ピンクのお宅が、後日下から見上げたものである。すなわちこの辺りから若松町・深田台境界、つまり尾根線に載ったことになる。先程示した「平坂貝塚」もこの辺か?

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お墓、そしてお寺の屋根が見えてくる。

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右画像左の木の向こうでコースに合流する。

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地理院地図を加工)



ついでの様になってしまい大変申し訳無いのだが、本記事の最後に龍本寺をご紹介する。

先程の、この道が表参道であろう。右画像は突き当たった、お寺の入り口の階段。

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因みにこちらのページ(【脇往還】浦賀道:鎌倉から浦賀まで(その14:写真集…衣笠駅前→法塔十字路)地誌のはざまに)、さらに元ネタのこちら(法塔 『二大霊場を結ぶ』ふるさと横須賀)によれば、この門前の参道は、鎌倉経由の浦賀道から衣笠の「法塔十字路」で分岐する古い道(あるいは若干改修された道)で、その一部(旧三崎街道の部分)は、聖徳寺坂を下り大津で合流する経路をとる金沢経由の浦賀道の、さらにその古道であったとのことである。

尾根変態でないかぎりは、龍本寺へのアクセスは、平坂から例の谷筋の坂道に回りこの参道を進めばよく、わざわざ大変な階段を上って来ることはない。

だが変態である我々は、お墓の方からうにうにと失礼する。

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龍本寺

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米ヶ濱のお祖師様」と呼ばれていたいうことで、その「米ヶ濱」、迅速測図では微妙なところに表記があるが、現在の地名「米が浜通り」等々からして龍本寺から東、あの変な岬(変ないうな)田戸崎辺りまでをそう言ったのであろう。
その辺りの海岸、迅速測図ではずっと断崖絶壁でとても浜と言えるような代物ではないが、例の城ヶ島みたいなこんな感じの浜(ただし断崖の高さはこの倍)だったのではないか。

まさにこの龍本寺は、断崖、岸壁の端っこに建っているお寺なのである。断崖、岸壁と言えば二葉百合子か船越英一郎と相場が決まっている。(だから何の相場だよ)
お寺の境内から見下ろせる現在の米が浜方向(左画像の建物は、横須賀共済病院)。まさに龍本寺は船越英一郎にうってつけのロケーションなお寺だったのである。(何がうってつけ、だよ)

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龍本寺に関しては、公式のサイトや横須賀市等の公的なページも無いようなので、こちらのページをご紹介しておく。
なお、ここまで尾根探索の頼りとしていた旧横須賀町・豊島村境界若松町・深田台境界は、この龍本寺で使命を終え、岸壁を下って海にドブンと沈む。旧横須賀町の領域はこの龍本寺高台のトンガリで打ち止めだったようである。

そしてここから先はしばらく、境界でなくなった海岸ぎりぎりの絶壁上の尾根をたどることになる。


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観音崎尾根 第3回 上町〜聖徳寺坂 その2 中里神社 [三浦支尾根プロジェクト]


ここでまた町名、町界の話である。
ここから先の尾根道若松町(左側)と上町(右側)との境界となる。
前々回参考にした「横須賀の町名1989」によれば、はまゆう公園崖上からここまでの尾根道は、一部例外はあれど概ね旧横須賀町・豊島町境界であった。そしてこの若松町・上町境界もほぼ、旧横須賀町・豊島町境界である。

文章でご説明しても、「わけがわからん!」「けしからん!」「代案を出せ!」とかおっしゃる方もいらっしゃるかと思うので、現在の町界と、過去の旧町界のだいたいの感じを図にしてみた。
(以下の地図に加工した境界のラインは、今後若干の修正が行われる可能性があります)

YT1.png
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地理院地図を加工)

下図、グリーンのライン旧町界青いライン今昔マップの「迅速測図」に基づいて引いた1870年代の海岸線である。どちらも図面を目視、マニュアルでラインを引いたものなので、厳密なものではないことをご了承いただきたい。(大勝利山付近の旧町界はもっと尾根よりかも)

ここで重要なことは、この若松町・上町境界は、あの平坂(県道26号)をその坂の途中で横切っているということである。
これは大変な事態である。カタギの国であれば、財務大臣どころか総理のクビが飛んでいてもおかしくないレベルだ。(何言ってんだ?)

つまり上記で述べたように、旧横須賀町・豊島町境界がここまでで概ね現在探索している尾根線に近いのであれば、この先の平坂をクロスする若松町・上町境界、すなわち旧横須賀町・豊島町境界は、そのまま尾根の痕跡として我々の引いたW1E1尾根ラインを担保する可能性があるということである。

KannonH4.png
地理院地図を加工)

現在の町界に基づく横須賀町・豊島町境界と目されるラインと、我々の引いた尾根線とを重ねてみよう。

Hirasaka.png
地理院地図を加工)

少なくとも平坂龍本寺近くまでは、なかなかナイスである。クールである。ヒュ〜ヒュ〜である。カキーンカキーンである(やかましい)
境界の根拠が地形などよりも、どちらかと言えば道路主導になっているであろうところを考慮したうえでも、これはかなりいい線ではないか。

平坂から先(西側)に関しては次記事であらためて議論することにしよう。

後出しでこれを書いている机上の私は、ここで旧町界という強い味方を得たような気持ちになっているが、例によって何も考えていない現地のなめこさんは、とりあえず片側が上町の境界を適当にぷにぷにたどればいいんだな、と安易に考えて大勝利山から逆方向に引き返す。

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みごとな尾根道である。右画像は左側もちゃんと谷で落ち込んでいるんだぞ、という画像。

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さらに尾根道。この手前ぐらいで4度目の若松隧道越えをしているはずである。

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もうこれとか、今思い返しても涙が溢れそうなくらいに(溢れるのか?w)素敵な「都市尾根道」の典型である。

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道の両側は、確実に標高的に落ち込んでいる。まさに尖った尾根のてっぺんに道が通っている。尾根変態的には、山道を歩いていると、いわゆるやせ尾根なんかちょっとぐっとくるが、それに相当するものが人々の住まう住宅地に存在しているのである。自然地形をつるぺたに開発しないで、しっかりとんがった尾根を温存してくれているのだ。
生きててよかった。(はい?)
正直この辺りが尾根変態的には本探索の最初のクライマックスかと思っている。
だが感動している場合ではない。本記事と次記事でW1E1説に決着をつけるのだ。先を急ごう。

右がちょっと高くなってきたかな。大雑把に言って、ここらがW1W2の分岐であろう。

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坂を下る。左画像の先に、中里神社へ下る右への分岐が見えるが、ここは直進する。

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Googleさんの地図ではこの先行き止まり
実際頑張って行ってみるが、地図通りあぼーん。

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尾根は右画像右方向だが、塀で進めない。

Googleさんとは別に、地理院地図ではこの先尾根を下る道が描かれている(右画像正面方向?)が、例によってカタギはやめておいた方が良い感じだし、第一この先は尾根筋ではない。(こんなところ辺に出るようだ)

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地理院地図を加工)

戻って先程の分岐を右、中里神社の方へ下る。

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今歩いているのは、W1W2の間の谷に下る坂である。後で出てくる中里神社の沿革書によれば、谷の名前は「稲荷ヶ谷」。

先程の、行き止まりから先の尾根を望む。

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谷に下りきったところで、再度左方向にあるその尾根に向かってみよう。

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上で遠望した画像の右隅に写っている階段である。行き止まりで、「だから何だよ」なのだが、尾根変態としては一応上ってみる。

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遠望画像の2軒のお宅の建っている尾根には、我々は立ち入れない。あれ?左側のお宅はどこからアクセスするのだろうか?

引き返しがてら撮った尾根遠望。先程の遠望の左側、画像中央が行き止まり地点である。

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あらためてちゃんと並べるとこんな漢じ?(左画像一番右のお宅と、右画像左のお宅が同一です)

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ってかここは、この期に及んで何を造成しているのだろうか?(地形図を見ると大きなお宅があったみたいです)

Uwamachi-4.png
地理院地図を加工)

W2尾根線からはずしてしまったお詫びに、中里神社にお参りしていこう。(何のお詫びだよ)

この近傍は今まで何度も通っていて、神社の名前も目にはしていたが、今日やっとお参りすることができた。

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中里神社、ここはなぜか狛犬さんがいない。

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神様だが、倉稲魂命=宇賀御魂命 はざっくり言って「お稲荷さん」なのだそうだ。だから谷の名前も「稲荷ヶ谷」。
伊勢大御神の方は、検索をかけると相馬市の神社が出てくるのだが、まあ名前的にだいたい天照大神なのだろう。「だいたい」とか失礼かもしれないが、向こうは神様である。細かいことは気になさらないだろう。

不信心者の私は、失礼極まりない適当な参拝の後、階段を下る。

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まっすぐに下れば平坂だが、左側(北側)の尾根方向に曲がってみる。

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横須賀の町名1989」を見て後でわかったことだが、この南北方向の道路は、旧々中里村旧々深田村の境界だったようである。
そして上の写真右画像、ゆるい上り坂の正面奥に見える集合住宅の辺りが、先程ダメ元で上った「だから何だよ」の階段の尾根の続き、同時に若松町・上町境界旧横須賀町・豊島町境界でもある。

NF.png
地理院地図を加工)

こちらでちらっと述べているのだが、「旧」だの「旧々」だの言われても,「わけがわからん!」「けしからん!」「この反日売国め!」とかおっしゃる方もいらっしゃるかと思うので、ここらでこの平坂付近の地名町村名の推移をざっと整理しておこう。
  • 江戸時代ぐらいまで自然村
    • 横須賀村、中里村、深田村、佐野村、不入斗村、公郷村、etc
  • 1865 横須賀製鉄所、建設開始pdf)。横須賀村が「都市開発」される。
  • 1871 大区小区制。めんどくさいので略。
  • 1876 横須賀町発足 
    • 町内に字レベルの以下の各町。汐入町、汐留町、谷町、諏訪町、山王町、大滝町、若松町etc.(それぞれ頭に「横須賀」を付けて呼称する。例:横須賀汐入町)
  • 1878 郡区町村編制法。江戸時代の町村がほぼ復活。
    • 横須賀町、中里村、深田村、佐野村、不入斗村、公郷村etc.(ここでは「旧々町村」とする)
  • 1889 町村制。各地でいわゆる「明治大合併」が行われた。
    • 横須賀町+逸見村 → 横須賀町中里村+深田村+佐野村+不入斗村+公郷村 → 豊島村(ここでは「旧町村」とする)
  • 1903 豊島村 → 豊島町町制施行
  • 1906 横須賀町+豊島町 → 横須賀町編入合併
  • 1907 横須賀町 → 横須賀市市制施行
  • 1933-1943 横須賀市が周辺の町村を編入合併。現在の市域+逗子市になる。
  • 1947 地方自治法
  • 1946-1951 横須賀市・町界町名地番整理 
    • 若松町、緑ヶ丘、大滝町、汐入町、深田台、佐野町、上町、田戸台、公郷町、不入斗町etc.
  • 1950 逗子市分離。現在の市域になる。
以上、リンクした各サイトと、文献、一連の「横須賀市史」を参考にさせていただいた。
ここでも一応申し上げておくが、これら地名町村名、そしてその村界町界に関しては、あくまでも尾根探索の一つのヒントとして扱っているにすぎず、その歴史だの経緯だの遷移だのを詳細に扱うのはこのサイトの趣旨ではない。それらに関してご興味のある方は、上記リンクしたような然るべきサイト、あるいは諸文献、例えば最低3種類出ている「横須賀市史」等々を各自ご参照いただきたい。

現在、両村の後身(?)であろう上町と深田台の境界は先述した旧々中里村旧々深田村の境界であるこの道ではなく、東側に平行する平坂になっている。
今歩いているこちらの道は、一見平坂の旧道のように見えるが、この先、現在の横須賀中央駅の方まで下っていたかどうかは定かではない。

若松町・上町境界の手前で平坂に下りる階段。ここが尾根探索のイベントとしての、ドドドッキンな次のクライマックスである。(?)

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ほぼ正面に見えるのが、中央水族館という名の熱帯魚屋さん、その背後の山が尾根の続き、つまりこの階段から先、熱帯魚屋さんの敷地まで、切り通し、掘削したのではないか、ということでご納得いただけるだろうか?
ここがクライマックス的には、あなたの正体、みちゃったぞ〜♪、なのである。(はい?)

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地理院地図を加工)

尾根線平坂の方から見てみる。田戸台へ行ったとき(2018.4.8)、西口からとっとこ坂を上ったときの画像である。
右側に見える水色のフェンスのある階段が現在見下ろしている階段、そして一番左、速度標識の後ろの薄茶色の建物が中央水族館である。

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その間を尾根線が走っていたと想像する。高度なデジタル技術(笑)で再現してみよう。

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わ、何これひどい(笑)(笑)(笑)


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観音崎尾根 第3回 上町〜聖徳寺坂 その1 浦賀道、大勝利山 [三浦支尾根プロジェクト]

横須賀中央スタートである。

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あんな田浦だの逸見だの汐入だの、えっとなんか抜けてるな、ま、いいや、八景凶暴な幼女の乗る普通に乗り換えてえっさえっさ行く駅よりも、快特ぽんぽんぽんぽーんと一瞬で到達する横須賀中央下車は実に爽快である。(普通停車駅最寄りの方々に失礼だぞっ)

そんなわけで、今日もハロウィーンの横須賀で、Go!Go!Go!!!(最初からイヤなノリだな)

ハロウィーン幼女がウヨウヨいる(男の子もいますよ!)平坂界隈だが、なめこさんは犯罪者ではないので(いやほぼ犯罪者だ)画像はない。どうしても我慢できない方はこれで我慢していただこう。(なんではいふり!?)

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そういうわけで(だからどういうわけだよ)上町1丁目交番交差点のこの地図に啓示を受けた私は、ひとまずはまゆう公園崖上の「一段高い」系尾根道へ向かう。

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その後の経緯については、前回のラストの記事で記した。

そして今我々は、中里通りの切り通しにいる。

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尾根道と思われる町界道のつづきである、中里通りをはさんだ向かいの、この階段を上ろう。

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階段を上りついたところで振り返ってみる。谷をはさんだ向こう側が先程辿った尾根線

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昨日、うぐいす坂から上ってきた浦賀道に合流する。

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前回も申し上げたが、浦賀道のこの辺りは南東側の眺望が非常に良い。風景に関してはこちらの記事で既にご紹介しているので省略するが、一応この日の大楠山だけはお約束で貼っておこう。

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さてこの先の尾根線であるが、このまま浦賀道をまっすぐ行っても汐入駅の方へ下るだけである。
道から右方向(東方向)に向かわなければならないのだが、これかな?

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道のこの先の右側が山がちなので、もう少し先まで行ってみる。因みにこの辺りで例の若松隧道をまたいでいるはずである。

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この辺の眺望も良い。汐入駅方面。

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真ん中のビルは、汐入駅前のメルキュールホテル横須賀、横須賀芸術劇場とかがくっついているビルである。その右下に、緑ヶ丘女子中学校・高等学校の建物が見える。学校名の文字も見えるが、残念ながらこの画像では判別できない。こんなのが見えます)

この少し先に東方向に向かう道がもう1本ある。

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そこを入ってみよう。

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む、この柵は、、、私有地?立ち入り禁止?

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品行方正ななめこさん(?)は引き返し、先程の分岐に入ることにする。

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地理院地図を加工)

プチ峠越え。再びこの辺で若松隧道をまたぐ。

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尾根は左側にいるようだが、そのうちこの道自体が尾根になる。
畑の中のいい道である。

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斜面になった左側を見下ろすと、舗装道路を人が歩いているのが見えた。先程の柵で塞がれた道のようである。あれ?入っていいのかな?

右方向、海が見える。横須賀中央方面。

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道は右に下っているようだが、尾根は左側に続いているようだ。

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そちらへうにうにっと入ってみよう。

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この平らな敷地が何なのかはよくわからない(お宅の跡か?)。何にせよ崖上で行き止まり。根性があれば崖を下って下の道へ出られるかもしれないが、例によってカタギの人はやめておいた方が良い。(笑)

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もとに戻ることにする。

因みに、浦賀道からこの辺りまでが町名的には緑ヶ丘で、右折してすぐは上町との境界が右側の崖の辺りを通っていたようだが、右側にお宅が接してくる辺りからこの道が両町の境界になる。

「緑ヶ丘」という近代的な地名は、先程遠望できた学校名と一緒である。地名から取られた学校名であろうと思われる方もいらっしゃるだろうが、開成町自由が丘などの例を出すまでもなく、その逆の例もあるから油断がならない。
緑ヶ丘の地名の由来は、こちらのpdf(横須賀市内地名考察)から引用すると、
25、緑ガ丘
この地名は町名地番整理によって諏訪町や山王町の各一部を一括して、昭和二十四年四月一日から緑ガ丘と呼ぶに至った。この丘ということは整理の際の方針として「特定の高台的地形にある住宅地帯には、“何々台”とか“何々丘”とか呼称をつけることができる。」ようになっているためで、この地帯にふさわしく丘の字を用いたのである。
とのこと。「この地帯にふさわしく丘の字を用いた」という曖昧ではあるが現地にいればなんとなく納得できる理由で、昭和24年(1949年)4月1日に町名が発足したとのことである。

だがこの程度の文言で引き下がるなめこさんではない。(はい?)
緑ヶ丘の学校の方のサイトを見てみよう。(→ 学校法人 緑ヶ丘学院
沿革のページを御覧いただきたい。
昭和22年3月 横須賀女子商業学校設立認可
昭和22年4月 高橋美子 初代理事長 就任 山田わか 初代校長 就任
昭和22年6月 緑ヶ丘中学校に校名変更
昭和23年3月 エベレット・トムソン 2代理事長 就任
昭和23年4月 ジェシー・ウェングラー 2代校長 就任
昭和24年2月 緑ヶ丘高等学校設立認可
(以下略)
大変失礼ながら歴代の理事長さんや校長先生のことはここではおいておいて、問題は昭和22年(1947年)6月や、昭和24(1949年)年2月に、既に「緑ヶ丘」の校名が採用されていることである。
学校名が先かどうかは断定できないが、「連動」していた可能性(一緒に決めちゃおうよ♪、みたいな?)は十分あるだろう。

などということを何も考えていないなめこさんは、右の道を下る。

IMG_7132.JPG IMG_7133.JPG

階段を下り、下界(?)の道に突き当たる。

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尾根線は右方向だが、先程の崖の先を見届けるために左へ進んでみる。

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やっぱり普通に崖だな。尾根線として目で追うのは良いが、やはりカタギはここを無理に下る必要はなさそうだ。(笑)

もう少し先へ進んでみる。
あれ?これはさっきの柵の道の出口?

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なんか左側の隙間から入れそうだが、品行方正なこのブログ的には侵入するのはやめておこう

後日、もう一度この前に来たのだが(2018.5.27)、そのときにはこの立入禁止的な状況の明快な理由が表明がされていた。

IMG_4996.JPG IMG_4996_.JPG

え?がけ崩れ?
そんなもん中に無かったぞ(←侵入してんじゃねえかよ!w)
はいはいこの話は終わり。先に進む。(またごまかしてるな)

む、何か立ってる。リヒャルト・シュトラウスが頭の中で鳴り響く。(あんたは何か立ってるとみんな2001年かよ)
大勝利山

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右側のごちゃごちゃした山が大勝利山か?

大勝利山に関しては、柱立ててるくせに(横須賀市?)公式な案内説明は見つからない。質問コーナーのこれだけである。(→大勝利山周辺整備について)
言及している個人の方のサイトはいくつかあるが、この下にある豊川稲荷(徳寿院)の碑をシンプルに紹介しているこちらのページがもっとも信頼できるであろう。(→神武天皇遥拝所(豊川稲荷)
先程の質問ページには「日本海海戦」がどうとか書いてあったが、これによれば日清戦争の勝利によって開かれた山なのだそうである。

階段を下ると、その豊川稲荷(徳寿院)があるようだが、下るとまた上るのが面倒なので、今回はスルーすることにした。後日行きました

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逆方向、尾根のつづきにへ進もう。

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地理院地図を加工)

中里神社へつづく

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観音崎尾根 第2回 坂本町〜上町 その5 中里通り [三浦支尾根プロジェクト]


今回記事のラストは、図書館方向(緒明山尾根)へ道を逸れる前、はまゆう公園の崖上、「一段高い」系尾根道の先の話である。

その前に、おまけには載せなかったが帰り際の上町1丁目交番交差点聖徳寺坂方向の浦賀道の入り口脇に立っている地図をご覧いただこう。ハロウィーン画像はこのすぐ右、ちょっと写ってます(笑))

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私はこの地図である啓示を受けたのであった。(はい?)

郵便局が手紙のマークになっていたりする、なかなかオシャレな地図である。逓信省のテだと何だかわからない外人さんへの配慮だろうか?(日本人でも今は逓信省言われてもわからない)

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いや、逓信省や前島密は今はどうでも良い。

この地図には、はまゆう公園崖上から図書館方面への道は描かれているが、図書館分岐から先に直進した中里通りの階段への道おまけで逆走しました)ががない。そのかわり良く見ると、ほぼ同じラインに「点線」が描かれている。これは何だ?切り取り線か?(切り取ってどうする?)

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もしかして尾根線だろうか?
いやいやいやいやいやいやいやいや、地図に尾根線を引くような変態は、この世で我々尾根変態ぐらいのものであろう(笑)。横須賀の案内地図の製作者が尾根変態とは思えない。
いやだが、港と山と坂しかない横須賀のことだ(酷い言いようだな)、もしかしたら変態かもしれない(違います!)

まあ普通に考えて、これは町界(市内の町区分)のラインであろう。ってか凡例に「町界」ってかいてあるじゃねーかよ!(なめこさん、言葉遣いが乱暴です)

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このときはどことどこの町界かあまり深くは考えなかったが、その区域にかぎって調べれば、ラインの上側(東側)が上町(1丁目、4丁目)、下側(西側)が汐入町(3丁目)である。

IMG_7082_4.jpg

因みにこれは、1906年に合併する前の豊島町(上町)、横須賀町(汐入町)の境界であったのではないか、とも思うのだが、今ひとつ確実な裏が取れない。。。

以下加筆・改稿しました(2018.6.13)
としていたところ、ある文献でだいたい裏が取れた。
  • 「横須賀の町名1989」(横須賀市都市整備部都市整備課/編)
ここのpdf(横須賀市内地名考察)みたいに町名の由来でも書いてあるのかなと思って(このときは緑ヶ丘の由来を調べようとしていました)中を覗いてみたら、こ、これは。。。。
旧々町村(1878年郡区町村編制法による町村 ※1)、旧町村(1889年施行の町村制 ※2)、現在の市内の区画としての町(戦後に実施された町界町名地番整理によるもの)の名称と区画が、地図に対照できるように描かれている。これはすごいぞ。よだれが出るほどにおいしい♪(はい?)
その一部については次回でちょっとだけ検討することにして、今記事に関することで言えば、ざっとみたところ旧町村同士の境界のラインは、内部は細かく現在の町丁に分解されているとはいえ、基本保持されているようである。ただし、市内に点在した旧々町村から継承された「飛び地」(戦後町界町名地番整理で消滅した)周辺は別、それと旧々町村界については、道路や町割りなどにより比較的柔軟に境界を移動させていたりする。(※3

※1紆余曲折あったが、基本江戸時代の村の区画が踏襲されている。これらの町村をここでは「旧々町村」とする。

※2「旧々町村」の合併等で発足した町村制。それまでの「旧々町村」は半自動的に「大字」となった。
その後に「なんたらの大合併」みたいなブームが数回あったりもしたが、概ね現在の区市町村に直接継承している区割りである。現横須賀市に吸収合併される前のこれらの各町村を、ここでは「旧町村」とする。
以上、町村制等の経緯については、現在のところこのブログの趣旨ではないので詳説しない。ご興味のある方はWikipediaでも概要を理解することは可能なのでご参照されたし。

※3例えば平坂の道路上の現在の上町と深田台の境界は、元々の旧々中里村・深田村境界が平坂の存在により引き直されたものと考えることができる。それについても次回で少しだけ触れる。

ここでは詳しくは論じないが、国境から県界、市町村界、字界をすべて含めて、尾根線=分水界が境界になっているケースは非常に多い。尾根を境界にするのは、水利によるものか、人や物資の往来の都合によるものか、理由はケースバイケースであろうか。
つまり逆に考えれば、ここの場合はまゆう公園崖上から中里通りまで、さらにはその先浦賀道の峠までのこの旧横須賀・豊島町界線は、ほぼ尾根線と考えても良いのではないだろうか。(厳密には尾根線というよりは尾根道によるものですが)

なので、前記事では図書館分岐へのアクセスに逆走したこの町界道をあらためて辿ってみることにしてみよう。
加筆・改稿はここまで(2018.6.13)

そんなわけで、日付は前記事の2016.10.22、中里通りから「一段高い尾根道まで戻ってきた。
ここまでのかなりどうでもいい(笑)経緯をお知りになりたい方はこちら


とりあえずはここを右(町界)へ下らずに直進しよう。

IMG_6995.JPG IMG_7049.JPG

直進するとこちらも階段、下ったところを左に行ってみたが、違ってそうなので引き返した。(おまけ参照

IMG_7050.JPG IMG_7051.JPG

直進は行止り。右へ入る道があり、さらに階段を下る。

IMG_7055.JPG IMG_7056.JPG

結局「一段低い」元の道(町界道)に戻ったというわけである。

尾根線に変態的なこだわりが無ければ、「一段高い」人様のお宅の間の路地にわざわざ上らなくても、謎のお父さんが一本取られた(前々記事)地点から、眺望の良い町界道をそのまま直進しても良いだろう。

IMG_7057.JPG IMG_7058.JPG

このときはここを右へ下り、さらに分岐にも行ってみたがいずれもハズレ。(おまけ参照

IMG_7059.JPG

ここでは余計なことを考えずに、この町界の道をまっすぐ進めば良かったわけである。

ここから先は、10.22分は中里通りの階段からの逆走画像しかないので、本日10.23分の画像になる。

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中里通りへの下り階段。両サイドのお宅の敷地の状況からして、この階段は切り通したものだろう。

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向かいに上り階段が見えるところに注目。

当然のことながら、下った先の中里通りも切り通しである。(逆走で上ってくるときはなめこさん、切通されていることは眼中になかったらしい)

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つまりここが中里通り尾根線との交差地点である。

Sakamoto5-5.png
地理院地図を加工)

10.23の私はこの先、中里通り向かいの階段を上り、浦賀道に合流することになる。
ということで、この続きは第3回で。。。

そして10.22の私は、時間が巻き戻って今下りてきた階段を上り、横須賀迷宮に迷い込むことになり(だから迷宮言うなって)、変な階段を登ったりしてだから変な言うな)へとへとになって帰ることになる。
迷宮に迷い込みたい方はこちら。


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ドアを開け君が来る気がするよ [楽しい音楽の話]

前記事の続きである。

あんなくだらない内容の記事でも結構時間をかけて書いたのだが、公開した途端、ディランサイドがHPからノーベル賞の記述を削除したとか、一連のディランの態度に選考委員が激怒したとか、愉快なニュースが入ってきた。
これは面白いことになったものである。

格別にファンでも無いが受賞は目出度い的な趣旨のことを書いた。厳密には、胡散臭かろうが何だろうがそれなりの選考の経過を経て受賞が「決定」したことが目出度いということである。
だがそれを本人が受けるかどうかは別問題である。実際に賞をもらうもらわないは本人の自由だろう。
かつて、勝手に「博士号」を押し付けてきたと言って辞退しまくった明治の文豪がいる。
また、MBE勲章をもらったことにずっと違和感を抱え、自分のソロシングルがヒットしないことを口実に、バッキンガム宮殿のポストに勲章を返却したビートルズのメンバーもいる。
「賞罰」というものは、「罰」はともかくも、「賞」は授ける方がやるんだからありがたく思え、という性質のものではない。スルーされたから怒るとか、選考サイドの器が小さすぎる。

こう考えてみたらどうだろう?(←堺雅人の山南さん風に(←なぜ今、山南?)

例えばなめこさんが「なめこ賞」というものを制定したとする。(なにそれきもい)
でもって受賞者を仮に大島優子にでもして、優子さんに手紙で受賞のお知らせを送りつけたとする(やめろー)。まあスルーされるかもしれないが、もしかして「これ受けるー♪」とか言って「ありがとうございまーっす♪」とか返事をくれるかもしれない(くれねーよ)。そこまでは良い。だが授賞式をやるから東京都大田区のなめこさんの自宅まで取りに来いとか言ったら明らかにスルーされるだろう。しつこく強迫的に迫ったりしたら、それこそ「お巡りさーん」ということになろう。それを無礼だの言って激怒するなどもってのほかだ。(勝手に一人でぷんぷん怒る分にはかまわないと思うが)
同じ、人の名前のついた賞である(なめこさんって人類だったのか?)。なぜ「なめこ賞」だけ警察沙汰になる!?(良い子は真面目に考えてみよう)

今日は疲れた。
何なのだ横須賀は。どこもかしこも表通りから外れると迷宮である。中央から平坂登ってちょっと脇に入った途端迷宮、ラビリンスである。
もしもなめこさんが横須賀で行き倒れたら
「め、迷宮じゃ〜。よ、横須賀は地獄の迷宮じゃ〜」
と横溝風に叫んで事切れるに違いない。
横須賀をDisるつもりは毛頭ない。急な坂道を登ればたいてい海と大楠山が見える風景はやはり素敵だ。
ただ今日は疲れた。その報告はまたいずれということで、鍋のセットと鳥のつみれが安かったので、鍋やって、ブラタモ観て阿部ちゃんのドラマ観て、とっとと寝て太ることにする。


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観音崎尾根 第2回 坂本町〜上町 おまけ 横須賀の上町でうわ言を叫ぶ [三浦支尾根プロジェクト]

注)本記事の内容は、一部の「当たり」を除いてほぼ探索対象の尾根からはずれています。あらかじめご了承ください(笑)

その4 緒明山尾根?からのつづき???

図書館から県道へ下り、どうにもやってまった感のあるなめこさんは、幼女尾根線を求め上町を彷徨う。

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まずはやっぱり中里通り(≒浦賀道)の北側の山(この記事この図W2)が怪しいんじゃね?と、付近を探ってみる。

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中里通りの1本北の通り。このときまではまだ、この道が浦賀道であることを知らなかったのだが、ここで初めて認識した。

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画像はないが、この坂(うぐいす坂)の手前で右側の山は谷を一個はさんでいる(StreetMap)。先程のW2(谷の右側)が探索対象の尾根だとして、この先の山(谷の左側)とどうつながっているのか、さぱ〜りわからなかった。

坂を上る。ここら辺り(右画像)が峠、汐入と上町との境界である。

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ここの眺望もなかなか良い。お約束の大楠山

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それよりも左方、多分衣笠山三浦三山方面。

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この峠が探索尾根としては「当たり」なのだが、まだわかっていない。

中里通り北側の山に接続すべき南側、図書館方向以外の尾根をあらためて探ることにする。
先程の「一段高い」に戻るため、中里通りからこの切り通し階段を上る。

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この階段も実は直球ど真ん中で「当たり」なのだが、全く気づいていない。どうしてもうぐいす坂東の谷筋がネックとなって(その言い回しおかしくね?)中里通り南側の尾根は、谷の東側のどこかでW2とつながっているのではないかという考えが頭から離れなかったのである。

階段を上って左側、遠景に見えるこの建造物?モニュメント?は何?

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横須賀にお住まいの方ならご存知のアレだが、このときの私はこれが何物か知らない。

一段高い」から先、適当な尾根っぽい道(というか尾根の脇の道?)を片っ端から下ってみたりする。
例えばこれ、

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いい感じの道だが、方向的(西方向)にこれは無いかな。

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次にこれ。

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これがまたいい道なのだが、なんなく下ってしまう。右画像は中里通りに出たところ。

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んー、これが尾根筋だろうか???。さぱ〜りわからない。 ┐(^^)(なんだこの絵文字は)

それともこっちかな?おっ、上り傾向だ。

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中里通りに下る。右画像ビルの後ろのグリーンはW2。つながりそうだ。これで妥協すべきか。。。?(妥協?)

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やぱ〜りさぱ〜りわからない。 ┐(^^)   ┐(^^)(増えたな)

もうディランの記事の続きか何かに、どさくさで横須賀は地獄の迷宮じゃ〜とか何とか譫言を叫んじゃいそうである。(予言かよ!?)

南側は一旦保留、北側のW2(ビルの後ろに見えたグリーン)を探索することにする。(南北を行ったり来たりするあたり、なめこさんの頭が迷宮になっているようです(笑))

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上まで上る道があるようなので、上ってみる。

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うまくすれば中里神社の方へ通じているかもしれないと思ったが、例によってどこも人様のお宅で行き止まり。

元の浦賀道側に下る道があったので、そっちから下る。

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型に上って下るだけであった。あああ、腰が。。。(笑)

そんなわけでそろそろ時間切れ、電池切れ、体力切れである。
腰も痛い。そろそろここいらで撤退することにしよう。(え?終わり?)

冒頭に注意書きした通り、「当たり」と書いた地点を除いて、全て本記事で辿ったところはハズレである。
一段高い」の尾根の続きから先は変な脇尾根(変なゆーな)に下りずにほぼ直進するのが正解、うぐいす坂の東の谷の両尾根は谷の奥でつながっている(まあ普通そうやな)、そして平坂までの尾根線経路はW2よりもむしろW1の方が有望ではないか、ということがわかるのは次回(翌日10.23)になってからである。
だが「一段高い尾根の続きは変な尾根(だから変なゆーなを下るまでに今回一部辿っていて、それと次回(翌日)分で探索したさらにその続きの分に関しては、ともに今回分として次記事に回す。先程の中里通りへの「当たり」階段を下ったところで、今回は区切りということである。(わけわからんな)

かわいい横須賀のお子様たち(幼女を含む)のハロウィーン姿を鑑賞しつつ(画像はありません(笑))平坂を下り、今日も横須賀中央から快特でリターンである。

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観音崎尾根 第2回 坂本町〜上町 その4 緒明山尾根? [三浦支尾根プロジェクト]


一本取られたなめこお父さんは分岐まで引き返す。
前記事の画像の場所、ちらっと見える階段を上る。

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さっきの道より「一段高い尾根道である。

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さて、ここの分岐(右へ下りる階段)である。

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ここまでの、なんとはなしのいい加減な道行きでお気づきかと思うが、本尾根探索はこの時点ではあまり事前調査をしていない。ざっとはしていないでもないのだが、電池の関係もあり現場で地図をほとんど見ない、だいたいが「見た感じ」での探索である。
序論で議論した尾根線は県道26号をどこで横切るか」問題も、このときははっきりした結論が出ていなかったかのである。机上でごちゃごちゃ言っていたが、あれは平坂での「観測」(次回・リンクします)などで最終的な確信を得た上での結論でもある。

さてこの分岐、(記憶が曖昧なのだが)「見た感じ」がそうだったからであろうか、ここでは「一段高い」道を真っ直ぐ進まず、右方向の階段を下ることにした。

Sakamoto5-3.png
地理院地図を加工)

地図をご覧になればおわかりになるかと思うが、ここから先は私の引いた尾根線からは明らかに逸脱している。いわば、観音崎尾根のさらに支尾根(これを緒明山尾根としておこう)をたどることになる。
そしてこれはまさに序論(下)で示したのコースでもある。観音崎支尾根本尾根ではないのだ。(ややこしいな)

だが、そちらに進んでいる時点ではこっちが本尾根だと思いこんでいたので、画像もまめに残っている。今回は「せっかくなので」ばかりだが、ここでもせっかくなので、しばらくはこの支尾根支尾根に迷い込んでみよう。何か良いことがもあるかもしれない。(はい?)

支尾根支尾根なんか興味ないやい、とおっしゃる方は、ここで尾根通り真っすぐ進んだ次記事にジャンプしていただいても構わない。


運命の階段を下る。(何だ運命って)

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左折し、消火栓電柱の先に右に入る道がある。ここを入る。

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ここでも大楠山が遥かに見える。(ちっちゃ)

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とてもいい道だ。

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ここら辺りで、中里隧道というトンネルの上にいるはずなのだが、、、
む、何だあの山は?

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リーゼント型である。さすがは横須賀。(は?)
Googleさんで探してみたら、実際何だかよくわからない場所であった。→これ

若干下りではあるがご安心めされ。まだまだ十分標高は高い。

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突き当りを右折、そして左折。

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坂を上ると、、、、、、あれ?
ここはどこ? これは何? 私は誰?(なめなんとか)

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おおおっ!これが名に聞く中央図書館か。(名に聞くも何も、なめこさん、初めての横須賀市立図書館との出会いです)

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しかも工事中だっ!(だから何?)

これは良いものを見つけた。私は横須賀市民ではない上に犬以下の存在だが、図書を閲覧するぐらいなら良いだろう。いつか来てみよう。行きました

反対側は緒明山公園

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さてこの先だが、尾根がどう続いているのか「見た感じ」さぱーりわからない。

Sakamoto5-4.png
地理院地図を加工)

あとで地図を見ると、実際のところは図書館よりも手前で南へ向かい、うわまち病院や豊島小学校の方向に伸びているのが、この支尾根の一番長い末端のようである。だが、今いる尾根が「観音崎尾根本尾根」であると思い込んでいる私は、聖徳寺坂から先が尾根の続きであることはこのとき既に把握していたので、とりあえずは西側の県道を超える算段を考える。

よって西側にある駐車場から出てみる。

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向こうに見えるあの山が尾根の続きなのだろうか???

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道は下る一方である。どう見てもダメダメ感が。。。

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県道に出る。うーむ、、、はたしてここに尾根線が通っているのだろうか?

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ときは10月末、街にはTrick or Treatな変装をした幼女やクソガキども(なめこさん個人の見解です)が闊歩している。まさにウハウハな状(やめい!)


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